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言語化はインプットである ~語れなければ愛せていない~

方眼紙と万年筆 雑記
ダルク
ダルク

どうもダルクです
今回は真面目な啓発記事書です

いつもの私のポップで軽い文章ではなく、割とガッツリ論文チックに書きます
思想が強めに感じる人もいるかもしれないので、閲覧は自己責任でお願いします

一応、同一人物ですよ(;・∀・)

言語化できない現代人

文字が書いてある本

近年、現代人の言語化能力は著しく低下してきていると言われている

私が幼少期の頃にも、「最近の若者は活字が読めない」と世の大人たちは嘆いていた
テレビやマンガばかりを観て、小説や新聞を読まなくなったという、よくある批評だ

ただ、今起きている事象はそれよりも一段階深刻なようだ

そもそも、感じたことを言葉で捉え直すという営みそのものを、手放しつつあるように感じるのだ

それを感じたきっかけは、映画や動画のレビュー欄を観たときなのだが…

「めっちゃ泣いた」、「マジで最高過ぎた」、「神作!感動した!」

おおよそ、上記のような感想で埋め尽くされている

感情が動いていることは確かなようだが、その感動をきちんと言語化して自分の中で整理した後に、魂から出力されているように見えないのだ

なぜ泣いたのか、どこに心を掴まれたのか、その作品は自分にとって何だったのか
そうした問いに立ち止まることなく、そのまま反射で言葉を打ち返しているようにしか見えない

長文を書く必要はないが、感動を一度言葉で引き戻そうとする意志が感じられないのだ

なぜこうなってしまっているのか

最近話題の「ドーパミン中毒」と深い関わりがあるように思う

Youtubeのショート動画やTikTokのような、数十秒単位のコンテンツが大量に共有され、私たちはスマホを触るだけで、途切れなく刺激を浴び続けている

ひとつの体験を咀嚼する前に、もう次の刺激
余韻に浸る前に、もう別の話題

その環境に長く身を置くうちに、
「感じる→言葉にする→理解する」
という回路が、徐々に省略され衰えていく

だから、感動しているハズなのに語れない
感性が死んでいくのだ

これは集中力の低下というよりは、言語を使って思考を深める回路そのものが使われなくなっているのだろうと思う

ここで明確にしておくが、私もこの現象に飲み込まれつつある一人である

自覚があるので、たまにこうして自分の思考を言語化して整理するようなめんどくさい記事を書くようにしている(笑)

ダルク
ダルク

上手いか下手か、正しいか正しくないかではなく、
思考を言語化して整理する習慣をつけたいだけね(´・ω・)

語れなければ、愛せていない

パソコンを扱う男性

言語化というと、多くの人はアウトプットだと考えている

しかし、言語とは本来、抽象的な概念に意味解釈をおこなう道具であり、言語化とは表現ではなく認知の手段である

したがって、言語化とはアウトプットではなくインプットなのだ

アウトプットに必要なのは、新しい思考ではない

すでに言語により整理され、内側に蓄積されたものを外に取り出す装置だけである

この記事で言えば、今まさにキーボードで文字を打っている指先がそれだ

ブロガーとして耳が痛い話だが、「言葉にできない」、「うまく表現できない」と感じるとき、その対象に感じた自分の感情の意味解釈が完了していないことが多い

誤解を恐れず言えば、
語れないのであれば、それは本当には愛せていないのだ

自分が何者なのか、わからない人たち

言語能力の低下がもたらす弊害は、作品を味わえないとか、理論的思考力が弱まることだけにとどまらない

より深刻なのは、自分が何者かもわからなくなっている人が増えているように感じる点だ

私は勤務先で、リクルーターとして大学生と面談し面接の練習に付き合う機会がある

そこで強く感じるのは、自己分析すらほとんどできていない学生が増えているということだ

ちなみに、一般的な日本企業が新卒を採用する際、最初は育成する前提で採用するため、中途採用のように経験や実力などはそれほど重要視されない

重視するのはその人の人間性になる

面接官は数十分の限られた時間なかで、その人の人間性を深堀して見極めなくてはならない

これは至難の業なのだが、私はよく趣味や休日の過ごし方を尋ねる
その内容自体にはほとんど興味がない

見極めたいのは、自分なりに意味づけして整理できているかどうかだ

たとえばこんなやり取りがある

「休日はどうゆうふうに過ごしていますか?」

「Youtubeとか動画を観ています」

「どんなジャンルを見ることが多いですか?」

「いろいろですね」

すでに詰まりかけているが、深く掘れないなら広げてみようと思う

「見ていて楽しいと感じるところは、どういうところですか?」

「とくにありませんが、良い暇つぶしになります」

これではキビシイ

なぜ自分はそれを選んで見ているのか、何を自分は楽しいと感じるのか、そういう問いが本人の中に立ち上がっていないので、自分自身のことがわかっていない

例えば同じ質問にこう答える人もいる

「どんなジャンルを見ることが多いですか?」

「映画の考察動画を観るのが好きです」

「どういうところが面白いと感じるのですか?」

「正解を教えてくれるというより、”こう考える人もいる”という切り口が好きです。自分に無い新しい視点に気が付く良いきっかけになります」

こういう受け答えをしてくれると、その人が物事を多角的に捉えようとする傾向があること、自分の考えを他者の意見を参考にしながらアップデートしようしていることなどが伝わってくるし、少なくとも、自分自身のことをよく理解できていることはわかる

この差は、単なる面接術やコミュニケーション能力の差ではない

自身の経験や行動に、言語化を通じた意味づけを行い、自分自身と向き合ってきたかどうかの差である

ドーパミン中毒からのリハビリテーション

松葉杖をついた人

ドーパミン刺激に慣れきった生活は、感性や思考力を低下させ、やがては自己認識すら困難にする

では、そこから脱却する術はあるのか

一番手っ取り早いのは、ネットを絶って生活することだろう

だが、自分にすらできないことを他人に勧めるつもりはない

ダルク
ダルク

そもそも、ネットの海でこんなニッチなブログの、こんな記事にたどり着いてしまう読者の方は、今すぐオフラインの生活に移行できると思えません(;・∀・)

だからここは、私自身もたまに実践している、現実的な方法を二つだけご紹介します

一日一回、140文字程度の文章を書く

どんなに下手でもいいから記事を書くのが理想だが、それはハードルが高いだろう

私自信、毎回こんな駄文を公開するのが恥ずかしい

だからまず、一日一回、140文字程度でいいと思う

内容は今日あったことでも、今の気分でもなんでもいい

140文字といったら、ちょうどSNSのXで投稿できる最大文字数なので、普段1行しかポストを打たない人からしたら長く感じるだろう

しかし、実際に書いてみるとわかるが、140文字は意外と短い

自然と文字数以内で主張をまとめようとすると苦労すると思うが、この作業こそ言語化によって認知を深め、思考力を鍛える訓練になる

一日60分ほど歩く

もう一つは、一日60分ほど歩くことだ

この時間は出来るだけスマホを見ないようにしたい

歩いている間は、歩くこと以外に基本的にすることが無い

だからこそ、物事を静かに考えて整理するには最適なのだ

時間が無い人は、学校や会社の登校や出勤の際に降りる駅を一つ手前にしてそこから歩いてみたらどうだろうか

私は片道50分、往復で100分ほど歩いているが、実はこの記事のテーマも歩きながら思いついて考えたモノだったりする

ドーパミン中毒の自覚がある皆さまは、ぜひ一緒にリハビリしてみませんか

ダルク
ダルク

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