どうも、ダルクです(/・ω・)/
大分の西寒多神社に参拝してきたので、
紹介します
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西寒多神社とは
西寒多神社とは大分県大分市にある神社で、
式内社(大社)、豊後国一宮、旧社格は国幣中社にあたる由緒ある神社です
西寒多と書いて「ささむた」と読みます
由緒と歴史は以下のとおりです
旧国幣中社、豊後一ノ宮として広く知られる西寒多神社の由緒は、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸して四方の山々を御覧になり、そこに一本の白旗を立ててお帰りになった。その後、人々はそれを敬ってその地に端垣を結び、聖地として崇めるようになり、やがて応神天皇の御代にこの地に宮殿を建立するため朝廷に願い出て、勅許を得た。勅を奉じた武内宿禰は応神九年、豊後国に下向して宮殿の建立に当たった。
さらに7世紀の中ごろ、藤原鎌足が百済救援のため豊前国仲津郡まで来た折、霊夢のお告げを受けて西寒多神社に参拝。老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納した。貞観10年(869)、西寒多神社は朝廷から従五位下の神階が授けられ、延喜5年(905)に勅命により編纂された延喜式神名帳で式内大社とされた。
以後、在地の有力武将の信仰あつく、大友家初代能直を初めとする歴代大友氏の尊崇を集め続けた。応永15年(1408)3月、大友家第十代の新世は尊崇のあまり社殿を山麓の現在の地に遷した。
江戸時代には、この地を領した延岡藩の牧野氏、次いで内藤氏の信仰厚く、たびたび神殿の改修修繕が行われ、藩士による燈篭などの寄進もあった。
明治4年(1871)4月、新たに設けられた社格制度で国幣中社に列格。昭和20年(1945)12月、社格制度の廃止に伴い別表神社となり、今日に至っている。
https://sasamuta.com/history
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豊後國一之宮
西寒多神社は豊後國の一之宮とされています
一宮(一之宮)について軽く説明すると、
中世の律令制度時代、地方に赴任する国司は、
その地方の主だった神社にまず参拝する義務がありました
これを国司神拝といいます
その際、その地域(国)で崇敬を集めている神社を「国内神名帳」にまとめ、
有力神社の内から最も社格が高い神社を一宮、
他の神社を二宮、三宮と序列化していきました
すなわち、一宮とはその地方で最も社格が高い神社といえます
ちなみに豊後国には、
一宮を名乗る神社がもう一社あります
それが柞原八幡宮です
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一之宮がはっきりせずに諸説ある國府は実は結構あり、
九州の神社は特に同じ國に複数の一之宮がある場合が多いです
筑前一之宮
肥前一之宮
西寒多神社の御祭神
西寒多神社の御祭神は以下のとおりです
主祭神(本殿)
- 西寒多大神 (ささむたのおおかみ)
天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命の総称としている
相殿神
- 応神天皇
- 神功皇后
- 武内宿禰
殿内所在諸神
- 伊弉諾大神、伊弉册大神
- 大直日大神、神直日大神
- 天思兼大神
- 大歳大神、倉稲魂大神
- 軻遇突智大神
- 天児屋根命
- 経津主神
たくさん祀られていますね(^^)
主祭神の西寒多大神は三貴神の二柱である天照皇大御神、月読尊、
天照皇大御神の息子の天忍穂耳命の総称ということで、
なんとも豪華なメンツですね
西寒多神社のアクセス
公共交通機関で西寒多神社へ参拝するには、
電車とバスを使うと便利です
大分駅まで電車で移動し、駅からバスで「ふじが丘東口」で降車、
そこから徒歩で10分弱で着きます
住宅地を抜けた先にのどかな自然いこまれた境内が現れます
西寒多神社のおすすめ見どころ紹介
では実際に参拝してきたので、
西寒多神社のすすめ見どころを紹介します
西寒多神社 社殿 四色鈴
西寒多神社の拝殿です
妻入りのりっぱな社殿です
しめ縄と四色鈴が映えます
拝殿の正面から垂れる四つの鈴は鳴らす布にぞれぞれ色がついており、
四色鈴とよばれています
西寒多神社は龍神が住む社とも伝わり、
古来より雨乞いや晴れ乞い等の祈願をしてきたそうで、
祀る龍神が四体います
- 青龍…東の方角を守る。金運開運のご利益
- 白龍…西の方角を守る。縁結び安産子宝諸祈願必勝のご利益
- 赤龍…南の方角を守る。家内安全厄桶のご利益
- 黒龍…北の方角を守る。病気平癒健康長寿のご利益
この故事に倣い鈴の尾に社殿から向かって朱・緑・白・紫の色を付けて、
お祈り出来るようになってます
紛らわしいのですが、
緑か青龍、紫が黒龍です
拝殿の横から本殿が見えます
万年橋
境内入口の川に架かるアーチ状の石橋です
何の変哲もない太鼓橋に見えますが、
大分県の有形文化財に指定されている由緒正しき太鼓橋です
長崎の眼鏡橋みたいなもんですね
藤棚
境内の入り口の脇にある藤棚です
このヤマフジは市指定天然記念物になっています
川をまたがって広がっており、
花が咲く季節は非常に映えると思います
今回は夏に行ったので花は咲いていませんでしたが、
花が咲く季節にまた行ってみたいです
鬼の歯形岩
この地域に伝わる鬼の伝承に因んだ石です
その昔、霊山に鬼が住んでいて、
天照大御神を祀る巫女を取って食おうとして麓まで降りてきましたが、
巫女の出した無理難題を達成できず、
そして鬼たちは霊山から居なくなってしまったそうです
奥宮「本宮社」
西寒多神社は奥宮である本宮社があり、
境内に登山口もあります
なんと境内から約二時間の結構がっつりした登山になってしまうので、
突貫旅行で来ていた私は今回参拝できませんでした
真夏でめっちゃ暑かったしね
地元では有名なハイキングコースだとか
ちなみに地図の上ではこんな位置関係です
いやこれ、めっちゃ山の中ですね(;・∀・)
ちゃんと上る時間も考えないと夜に遭難しそうです
いつかリベンジしたいですね
西寒多神社 摂社・末社
西寒多神社の摂社、末社、境内社を紹介します
大きな神社の境内には小さな神社が複数鎮座していることがよくあり、
層のような神社を摂社・末社あるいは単に境内社と呼びます
合併社
合併社です
合併社とは複数の神社の祭神を一つの神社に合祀した神社や、
もしくは一つの神社の摂末社にまとめて遷座させて出来た神社です
神社の数が増えすぎて管理できなくなっていたので、
神社の数を減らす目的で明治時代に合祀が積極的に進められました
元々は何の神社をそれぞれ祀ってたんでしょうね
ちょっと調べたのですが出てきませんでした(;・∀・)
厳島神社
境内の池に鎮座する厳島神社です
厳島神社はどの神社も池の近くに鎮座している印象です
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大分社 天神社
大分社と天神社です
大分社は大分の地名の元になった古代の豪族、
大分の君を祀っているそうです
天神社はおなじみ菅原道真が御祭神です
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西寒多神社の御朱印
西寒多神社の御朱印がこちら↓
基本的な構成でありながら、
金の神紋や紫の印が艶やかで美しいです
私はこういう御朱印が大好きです(´▽`*)
ではまた
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