どうも、ダルクです(/・ω・)/
少し前ですが京都の賀茂別雷神社へ参拝してきたので、
紹介します
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とは
京都市北区上賀茂本山にある神社で、
通称は上賀茂神社の通称で親しまれています
また、賀茂御祖神社と合わせて、
賀茂社として一つの社として扱われる場合もあります
式内社(名神大社)であり、山城国一宮、
二十二社(上七社)の一社と極めて高い社格と歴史を誇ります
数多の寺社仏閣を有する古都で知られる京都においても、
最古にして頂点と言っていい神社です
二十二社(上七社)
式内社は延喜式目に名を連ねる最も由緒が古い神社の一社のことであり、
式内社の中でも特に崇敬が厚い神社を名神大社といいます
さらに二十二社とは、
律令制が崩壊していく中で朝廷が直接管理を続けていった、
ごく限られた神社のことで上賀茂神社はその二十二社に名を連ねます
二十二社の中でも(上七社)に入り、
筆頭格に置かれた神社です
二十二社の一覧がコチラ
上七社
中七社
下八社
二十二社の中でも(上七社)に入り、
筆頭格に置かれた神社です
二十二社
山城國 一之宮
賀茂別雷神社(上賀茂神社)は山城國の一之宮です
一宮(一之宮)について軽く説明すると、
中世の律令制度時代、地方に赴任する国司は、
その地方の主だった神社にまず参拝する義務がありました
これを国司神拝といいます
その際、その地域(国)で崇敬を集めている神社を「国内神名帳」にまとめ、
有力神社の内から最も社格が高い神社を一宮、
他の神社を二宮、三宮と序列化していきました
すなわち、一宮とはその地方で最も社格が高い神社といえます
二十二社でありながら一之宮である神社は、
全国に数社しかありません
一之宮
ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」
賀茂別雷神社(上賀茂神社)はユネスコ世界文化遺産、
「古都京都の文化財」の一つです
なお「古都京都の文化財」には神社では賀茂別雷神社(上賀茂神社)と、
対となる賀茂御祖神社(下鴨神社)のみ登録されいます
やはり京都の中でも賀茂社は別格
日本の神社で世界遺産に登録されている神社は、
日光の寺社群、厳島神社、宗像大社の沖津宮などがあります
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賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神は、
賀茂別雷大神と呼ばれる雷の神様です
古事記や日本書記は登場しませんが、
社伝によれば神社の北北西にある神山に降臨したと伝わっています
賀茂別雷神社(上賀茂神社)のおすすめ見どころ紹介
それでは実際に参拝してきたので、
賀茂別雷神社(上賀茂神社)のおすすめ見どころを紹介します
細殿(拝殿)と立砂
二の鳥居をくぐった先にあるのが細殿と立砂です
立砂は神体である神山(こうやま)を模したものであり、
頂きに三本と二本の松の葉が立てられ、
陽と陰の一対になっています
盛り塩や、鬼門にまく清めの砂の起源とされています
楼門
朱色の鮮やかな楼門です
寛永5年(1628年)建立で、重要文化財に指定されいます
中門(本殿・権殿)
賀茂別雷神社(上賀茂神社)は独特な社殿の造りをしており、
中門の先に本殿と権殿があります
権殿は本殿を修繕するときなどに、
本殿から一時的にご神体を移す殿です
本殿と権殿には通常は入れないため、
中門から参拝することになります
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社・末社
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社・末社について、
一部紹介します
摂社須波神社
楼門のから玉橋を挟んだ岩上にある摂社、
須波神社です
御祭神は阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神
あまり見慣れない祭神だと思いますが、
五柱合わせて座摩神(いかすりのかみ/ざまのかみ)と呼ばれ、
神祇官西院において祀られた神様です
本殿は重要文化財で、
式内社でもあります
末社棚尾社
中門のすぐ脇にある棚尾社
御祭神は櫛石窓神、豊石窓神
末社川尾社
楼門のすぐ脇にある川尾社
祭神は罔象女神
末社岩本神社
岩本社は境内の東側の庭園に鎮座しています
祭神は底筒男神・中筒男神・表筒男神
所謂、住吉三神ですね
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賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御朱印
賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御朱印がコチラ↓
賀茂社の御神紋である二葉葵の印も添えられています
上賀茂神社では御朱印帳も頂きました
細殿と立砂が金色であしらわれています
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